家庭医(オーストラリアではGPと呼ばれている)という仕事は、とにかく人に会う。事の大小はあれど、誰も健康に問題を抱えた人たちだ。GPのカバー範囲はとても広く、小さな怪我から一刻を争う心血管系の障害まで、言ってみれば次の患者さんがどんな訴えで入ってくるのかまったくわからない。妊娠したと思うとか、この子の頭の湿疹は何だろうとか、隣の家の騒音で眠れないとか、なんでもある。
メンタルヘルスの問題も日常診療の大事な一部だ。GPとして、それなりにトレーニングは受けたし、いわゆる標準治療というものを踏襲して診療はしているけれど、結局は同情とか共感とか、いままで自分自身(患者さんじゃなく僕自身の)の人生で思ってきたこと考えてきたこと経験してきたことをベースにして自分は診療しているんだな、ということを自覚している。それはそうだろうなと思うけれど、だけどこれは言ってみれば、自分史という「カゴ」の中から患者さんを見ているようなものだ。おそらく一流の精神科医や心理療法士は、そういった「カゴ」をもたずに患者さんを理解し、よりよい道を照らしてあげられるのだろう。けれど僕はまだ、自分のカゴの中からでしか患者さんを診ていない、といつも思っている。でも、時にはそのカゴの小さな扉を開けて外の空気に触れることがある。カゴの外にいる患者さんと触れあう瞬間だ。
ドリーンは80近いオーストラリア女性。慢性疾患を持つ長期で診ている患者さんだ。穏やかで物静かな、でも体の奥の方に芯を持った女性。数ヶ月前に夫とのことで心を病んでいたけれど、彼女は自分の力で夫との関係を改善し、時間はかかったけれどずいぶん落ち着いてきていた。いろいろ「解決」したのだと、彼女は先日笑って話してくれた。「いなくなりたい」と言っていた時期もあったけれど、彼女はそれを乗り越えてきた。
ところが数週間前、ふたたび無口になった彼女にその理由を聞いてみたところ、少し躊躇したあと、実は先週息子が事故でなくなったのだと言った。50歳間近の働き盛りで、良き父良き夫であった、彼女の自慢の息子だったと。あまりの突然、あまりのショック。こんなにこんなに悲しいのに涙が出てこないと、ドリーンは訥々と話した。
僕はほとんど何のアドバイスもできなかったけれど、ただ聞いて、頷いて、そして時々見上げる彼女の視線を受け止めた。やっと大きな山を乗り越え、新しい生活を送っていたというのに、どうしてまたそんな辛いことが降りかかるのか。
それから何度か彼女は受診した。葬儀もすませ、一通り落ち着いたとはいうものの、もちろん喪失感と悲しみは心の奥にしっかりと居続けている。受診のたび、「どうしてます?」と言って、彼女の話をただゆっくり聞いていた。
昨日、ドリーンがふたたび受診した。「だいじょうぶだと思う」と言う彼女にそれ以上のことは聞かず、紹介状とか薬の処方とかをすませ、診察を締めくくっていった。
彼女は椅子から立ち上がりドアに向かったけれど、部屋を出るのに躊躇していた。そして僕に顔を向けると、少しこわばった表情で、何か秘密を打ち明けるかのように聞いてきた。
「あなた、スピリットって信じる?」
え?スピリット? 魂?
「え?、はい、まあ、うん、信じてます」
急な質問ですこし面食らった。彼女は、ホッとしたように少し笑って続けた。
「よかった。じゃあ話す。実は先日、娘が知り合いの紹介で Clairvoyant (占い師のような意味)に会ってきたの。兄はいまどこでどうしているのかを聞いてきたって」
正直ちょっと驚いた。一般的なオーストラリア人の年配の方が、教会やキリストや神の話じゃなく、こういう「スピリチャル」な話をするのはたぶん珍しい。
「そしたら、僕はいい場所にいて、幸せに暮らしているって」
彼女は一言一言を、ゆっくり大事そうに噛みしめて言った。
「そして、息子は私と夫のことをとても気にしているんだって。私たちの健康をとても気遣っている。
実は、あの時から、ときどき息子がそばに来ていることを感じることがあるのよ」
少し間が空いて、彼女は続けた。
「だから、わたしはだいじょうぶ。わたしはだいじょうぶ」
こわばっていた表情がゆるみ、彼女は微笑んだ。言い切った、そういう感じだった。
「聞いてくれて、ありがとう」
部屋を出ようとする彼女に僕は、話してくれてありがとう、僕もホッとしました、と伝えた。
「ドリーン、実は、僕はスピリットの土地から来たんですよ」
とつぜん思い出した。僕は沖縄という、魂に満ちた場所から来たんだということを。
「僕の生まれて育った土地は、魂が至るところにあって、人々はその魂をとても大切にしているんですよ。
祖先や、残念ながら先に亡くなった人たちの魂を敬い、祈り、そしてこの世にいる僕らのことを見守ってくれていることに感謝している。宗教と呼ぶのとはちょっと違うけど、そういう信仰を持つ場所で生まれ育ったんです。
だからドリーン、僕は息子さんのその話を信じます。彼はあなたを、あなたたちファミリーを見守っていると思う」
話しながら、とても懐かしい感情が自分の中に溢れるのを感じた。うつつ世とあの世の境界がにじんでいる、沖縄のあの濃厚な空気。亡き人たちの心や言葉がその境界から沁みだし、人々の生活に溶け込んでいく。日常生活の中でそれを明確に感じることが少ないのは、何故ならもうそれが日常生活の一部だからだ。
沖縄のあの温度と湿度。具体的な気温や湿度だけじゃなく、街や人の温度と湿度。海や森の温度と湿度。そしてあの世から送られてくる温度や湿度。
沖縄は「魂」の海の上に浮かぶ島なのかもしれない・・・。ドリーンとの短い会話の中で、そんなイメージを感じていた。
「ありがとう、だからわたしはもうだいじょうぶなの」
彼女はもう一度そう言って診察室を出た。
医者の仕事というのは、医学という名の科学に基づいている。たくさんのガイドラインやエビデンスがあり、医師の僕らはそれに沿って仕事をする。ガイドラインに沿わない診療をすることは、ある意味危険なことだ。患者さんの健康にとっても危険だし、ガイドラインを逸脱することは医師登録を脅かす可能性もあり、その意味では医師にとっても危険なことなのだ。柔軟な医療が行われているように思われているオーストラリアの医療だけど(おそらく西洋の国はほとんどそうだ)、実はその逆で、ガイドラインやエビデンスを強く信奉する傾向は日本より強いと思う。
新しい医学的知見、アップデートされ続ける医療ガイドライン、毎年課せられるトレーニングやアセスメント、僕らオーストラリアの医師は、毎日のようにそれらに追われている。身体のことはもちろん、心理ですらエビデンスを求められるのだ。
そんな日々を送っているからだろう、「スピリット」のことを思うことはほとんどなくなっていた。残念ながら、そんな状態がもう何年も経った。
彼女が部屋を去ったあと思い出した。二十年前に去った両親のこと、これまでに亡くなった友人たちのこと、彼ら彼女らの魂のことを、あのとき僕は確かに感じていた。
2011年3月11日のあと、被災地でたくさんの人たちから話を聞いた。喪失感、自責の念、後悔、無力感、あらゆる悲しみの表現が満ちていた。そこここに、亡くなった人々の形があり、その形の失われた空間に、生き延びた人たちの気持ちが流れ込んでいた。去ってしまった人たちと生き延びた人たちの境界は不明瞭で、お互いが行き来していたようだった。お互いが慈しみ合い、危ういバランだけれども、お互いが支え合っていたように見えた。
そうだった。どうか亡くなった人たちの魂が救われますようにと、僕はあのとき祈っていた。そして生き延びたすべての人を遠くから、あるいは寄り添って、見守り支えてくれますように、と祈った。
彼女が去った後の診察室で、僕はしばらくそんなことを思い出していた。
収まりの良い空間で医師の仕事を続けていた自分が、少しだけだけど、カゴの扉を開けた。つまり、そう、魂を、僕は信じている。