2023年3月11日土曜日

12年後の後悔

 12年前、僕はあの甚大な震災直後に岩手県大槌町に行き、そこで医療支援をしていたのだけど、今でも後悔することがある。それはたぶん、未曾有の被災地を目の当たりにして混乱し、気持ちが先走っていたからだと思う。

避難場所となっていた城山の体育館の卓球場を半分に仕切り、僕らは24時間体制の医務室として使っていた。そこは医務室兼生活の場であり、文字通り住み込みの状態だった。沖縄県医師会から派遣された医療従事者達の活動に加えてもらい、そこで寝食を共にしていた。

そのチームには地元の医師、保健師や薬剤師の方々も参加しておられ、その避難所以外からも被災者の方々が訪れ、保健師の方々に至っては訪問看護まで行っていた。すごい機動力だと僕は感心していたし、その手伝いができることが嬉しかった。

避難所生活を余儀なくされている方々を毎日診ていて、そこにいる誰もが地方自治体や国の施策の遅さと足りなさを感じていた。大きなレベルでの問題だけでなく、避難所内でも日々様々な問題が起きて(たとえば水や電気やトイレ、それからインフルエンザや様々な感染症、寝たきりの方の介護問題、急性疾患の対応の遅れ)、そのための対応策や今後起こりえることへの予防策を考えて方針を立てることなども必要だった。

僕はけっこう長くその現場にいたので、前後の成り行きや地元の方々とのネットワークにだんだんと精通し、結果として必然的にチームの取りまとめ役をするようになった。200−300名に渡る避難所内の方々のどなたが医療的な問題を抱えているのか、問題が起きた時の連絡を誰にどのようにするのか、そういったことを新しく参加した医療従事者にオリエンテーションをするのも僕の仕事となった。そんなことも含め、いま思えば僕はとても頑張ってしまったのだと思う。

避難所の方々の状況をもっと良くしたい、その地域への貢献をもっとしなければ・・・、そんな気持ちが、そのチームに負担をかけたのだと思っている。それは、支援のためにやってきた沖縄から派遣された医療従事者に対してではなく、地元大槌の医療従事者の方々に対してだ。

医師、保健師の方々、薬剤師の方々、そして避難所に生活している方の代表の方、そういった人たちに声をかけて、1日の仕事が終わった夕方から毎日ミーティングをしましょうと、声をかけたのだ。それは避難所や地域の方々のために行うことなので、という僕の提案にどなたも納得して(納得せざるを得ない提案だ)参加してくださった。僕は毎日問題点をびっしりノートに書いて、そのミーティングでひとつずつ取り上げた。十数人のチームメンバーに意見を求め、明日からの活動に活かすことを求める。そこで行われたことが、とても有意義で満足のいくものに僕は感じられていた。満足感、充足感、もしかしたら高揚感すら覚えていたかもしれない。

でも、あの時のことを思い出すたびに、僕は自責の念にかられ、心が苦しくなる。

そのミーティングに参加していた地元の方は、当然のことながら誰もがみな被災者だった。家を失い、家族ともども被災し(家族や友人を失った方も多かった)、避難所生活を強いられ、食べる物も満足なものではなく、衣料品も足りず、風呂やシャワーにもこと欠き、安全で安心な日々を送ることが難しい状況を送らざるを得ない。誰もがみな被災者だった。

その単純なことを僕は十分に思いやっていなかったと思う。「みんな」のために、という名目で、目の前にいる方々に無理を押しつけていた。一日の仕事が終わり、それだけでも避難生活をしている人たちにとっては大変なことなのに、夕方からのミーティングに参加してもらい、話し合いが尽きるまで付き合ってもらった。疲れた顔でずっとうつむいていた薬剤師の方を今でも思い出す。

有用なミーティングだったのかも知れない。でも、それはそんなやり方を取らなければならないようなものだったのかと自問すると、けっしてそうではなかったと思う。日中の時間を利用すれば、少々手間はかかるが、何とかなったはずだ。効率とか、もしかしたら「やってる感」を求めて、そんなミーティングを始めたのかもしれない。

あの時、日本で一番休息と休養が必要だった人たちだということを理解していながら、僕は目の前にいる方々に対して思慮を欠いていた。助けに来たぞ、応援に来たぞ、そう言ったはやる気持ちが駆り立てた行き過ぎた行為だったといまは思う。

支援とか援助とかボランティアといった行為は難しい。熟慮することなく支援する立場に立つと、「支援のためには少々の犠牲は必要だろう」という逆説的なことが起こりえる。その犠牲は二次的な被害となり得るにもかかわらず。

あの時の医療支援から戻って来て、あのミーティングのことを何度も思い出してきた。タイムマシンがあれば、その時に戻って自分に耳打ちしたいほどだ。目の前をよく見ろ、大きな視点はイコール冷静な視点ではないぞ、お前の満足のために支援をしているんじゃない、誰が何を必要としているのかまずはそこからだ、急ぐな効率を求めるな、頭を冷やせ。

12年が経った今も、そのことをよく思い出す。ミーティングのことだけでなく、他にも僕はいろんなプレッシャーを回りに与えていたのかもしれないとも。助けに来たんだから、それくらいはいいでしょう、と。

あの時、自分のための時間もままならない中で毎日のミーティングに付き合っていただいた方々に申し訳なかったと思う。と同時に、貴重な時間を使っていただいてありがとうございました、とも。いや、やっぱり申し訳ないの方が立つ。

次にそういった支援をする機会があるかは分からない。でも、もしそんなことがあれば、よく見ようと思う。支援者という視点だけでなく、様々な見方を学ぼう。「寄り添う」という言葉は手垢にまみれてあまり好きな言葉ではないが、その人の横に立ち何が見えるのか何を感じるのか何を求めているのかを思い理解する努力をしよう。

それは生きていく上でも大事なことで、それを気付かせてもらったという意味でも、12年前の経験は僕にとって大きなものだった。

そう締めくくることも、もしかしたら支援者の視点なのかもしれないが。