2013年1月8日火曜日

2013年 再生を図る年


年の初めにはいつも、友人らに向けた年賀の挨拶を書いている。基本的には自分と自分の家族の近況などを中心としたものだけど、今年はそれに少々長い文章が加わってしまった。おそらく、いま自分がもっとも考えていて、一番言いたいことなんだと思う。

ここにその部分を書き抜いて記しておきたい。


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2011年の3月11日を境に、日本は大きく変わりました。そんなことはない、あれだけのことを経験してけっきょく何も変わってないという意見もありますが、いえやはり、日本はバケツをひっくり返したような状況にまだあります。なにも解決していないし、なにも落ち着いてない。どこへ進むのかすら決められないままです。

政治や経済状況も変化の中にありますが、やはり日本人一人ひとりがあの震災を経て、それぞれに何かを感じ何かを考え、そして変わってきたはずです。どんな形にせよ、あの震災の巨大な爪痕は、たとえまったく被害を受けなかった人たちの心にも刻まれているはずです。意識的な変化にせよ、無意識の奥の変化にせよ。

そしてその爪痕は、日本にいる日本人だけではなく、海外に住む日本人にもしっかり刻まれています。もしかしたら渦中にいてその痛みのありかを捕らえられずにいる人たちよりも、遠く離れてもどかしい気持ちを抱えたまま祖国を見つめている分、その傷の大きさと深さを実感しているかもしれません。

爪痕の作った形の集合体が日本という国をどこへ向かわせているのか、ぼくは正直なところまったく分かりません。そして残念ながらぼくはその行方を楽観できずにいます。

年始の挨拶で政治的なことをとりあげるのはふさわしくないかもしれませんが、昨年暮れの選挙の結果を見て、ぼくは本当に落胆しました。あらゆる価値が変わってしまったこの国の行方を問うのではなく、起きてしまったこの変化を、まるでなかったことにしてしまおうとでも言うような結果に見えたからです。

「オレはもう日本を見限った!」 
「もういい、もうあなたたちで好きなようにしたらいい・・・」
そうぼくは思いました。

でも驚いたのは、不本意な結果にもかかわらず、選挙のあとすぐに多くの人たちが「諦めないぞ」と声を上げていたことです。

明らかにぼくの思う悔しさ歯がゆさ憤りの何十倍も何百倍も抱えている人たちが日本にいて、しかも諦めないと宣言している。それが大勢なのか少数なのかわからない。でもそのうちの何人か十何人かはぼくの友人でもある。

それに、被災者のなかには「失望」という言葉なんかでは足りない思いをしている人たちがいるに違いない。まるでなかったかのようにされたのだから。その悔しさはいかばかりか・・・。

いろいろな考えが頭の中をぐるぐると駆け回っていました。
失望と希望と諦めと気付きと憤りと救い。

ぼくらが信じてきた、なにか大きなものが崩れてしまった。その信じていたものは、じつは人々が信じていたから存在していたのだと、ぼくらは知りました。それは、あやうい幻想の上に成り立っていただけなんだと、ぼくらは知りました。

そのことを無視することもできるでしょう。でもたとえ見ぬふりをしたとしても、もうそこには「それ」はないのです。もうぼくらは違う時代の違う場所にいるのです。あの時には戻れないのです。

2013年。おそらく今年は再生を図る年になるでしょう。土を耕し種を蒔き、うまくいけば芽が出るのを見ることができるかもしれない。

諦めずに投げ捨てずに、新しい革の袋に新しい水を注ぎましょう。

もちろん、日本の行く末なんていう大きなことばかりをいうのではなく、毎日の生活やそれぞれの仕事の中にこそ新しい息吹が隠れています。子供たちや弱き生き物たちに向けるまなざし、よく見えない場所にいる人たちへ向ける手。上や下をばかり見るのではなく、横や後ろも見ながら生きてみる。

どうかどうかこの一年が、あなたにもわたしにも、すべての人たちにとってほんとうの幸せをもたらす一年になりますよう祈ります。

その祈りが、表面的なものではなく、心の底からわき起こってくる一年になりますよう。

2013年1月

2 件のコメント:

  1. 山内先生、ご無沙汰してます。

    謹んで新年のご挨拶を申し上げます。沖縄は尖閣諸島問題で日々騒がしいです。外交や領土問題も大事な問題ですが、震災から復興が「今」の一番の課題だと感じてます。

    東北は震災から2度目の冬・・・

    私も2013年が被災地にとって希望の光で満たされてるように祈ってます。
                   真栄城 克匡

                        

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    1. お久しぶりです、眞栄城さん。
      沖縄だけでなく、日本中が領土問題や政治情勢で騒々しいように思います。
      被災地の問題が脇に追いやられてしまうのではないかと、ぼくも危惧しています。
      希望の光が差すことを、いや差し続けることを、祈っています。

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