5月8日に大槌を発ち、早いものでもう二週間が経った。日本でいろいろと片付けものがあり、オーストラリアの我が家に戻ったのは、ちょうど一週間前だ。大槌の城山診療所にいた時は、一週間というタイムスパンはだいぶ長く感じたのに、この二週間はあっという間だ。
家に戻って、ずいぶん手紙を書いた。大槌で出会った人々に。
元来とても筆無精で、そのせいで過去にたくさんの失礼をした。パソコンが手元にあるようになってからは、ちょこちょことメールを書いたりはするのだが、手紙を書くとなると一段も二段も敷井が上がる。それでも時々はパソコンで文章を書き、それを印刷するというやり方で手紙を送ることもあった。同じ文面を印刷して宛て名だけ変えるという「手抜き」も、パソコンでなら簡単だ。メールでいえば Cc みたいなもんだ。手元に送った内容が残るということは悪くないし。
でも、今回はすべて手書きで手紙を書いた。なんとなく、時間と労力を傾けるのがいいような気がしたからだ。
元々メールでつながっていた人たちとメールでやり取りするのはなんら問題はないが、大槌で出会った被災者の方々とは、なんというか、アナログな出会いというか、生身の出会いというか、つまり、具体的な労働力を介した出会いのような気がするのだ。キーボードで文字を打つ作業も労働と言えなくもないだろうが、いやいや、テーブルの上を片付け紙を用意しペンを探して文字を書く、その文章も宛て先の一人ひとりの顔を思い浮かべてああでもないこうでもないと書き進め、さらに封筒に宛て名を書いて郵便局に持っていって投函するという作業ははるかにはるかに心と体を使った労働だ。
正直言って、おそらくどの手紙も内容にそう違いがあるわけではない。向こうでぼくが何を思い、その方に何を伝えたいかなんて、十通書いて十通りあるわけがない。でも、たとえ同じような内容でも、一字一字その人に当てるという作業の中で、大槌で過ごした日々が少しずつ昇華されていくような気がした。
20通ほど書いた。丸三日はかかった。
それが一週間ほどかけて大槌に運ばれ、みんなの元に届けられる。返事が来るとしても、それからまたゆうに一週間はかかる。まるで遅々として進まない復興計画のようだけど、起こした行動は、小さくともそれなりに実になるのだ。そろそろ届いたかなあと想像するのも悪くない。
大事だね
返信削除学生たちもふれあった避難所の人たちに手紙を書いてます