明日の朝、大槌を去る。
結局、ひと月あまり大槌町にいたことになる。正確には5週間と1日。
「ひとりNPO」としてオーストラリアからやって来て、その当時は実際どこで自分が医療支援ができるのかもじゅうぶん決まってなかった。いま考えると、なんだか無謀だったなあと思うのだが、このひと月余りを振り返ると「来るべき時に来るべきところに来た」という感じがする。「縁」という言葉をとても強く感じる。その縁にぼくは感謝している。ここで出会った多くの方々に、ぼくはとても感謝している。
そして、快くここに送り出してくれた妻にありがとうを言いたい。ぼくの留守中、妻や子を支えてくれた友人たちにもとても感謝している。
そして今日。大槌町で送る最後の一日。
地震と津波と大火災に見舞われた多くの人たちのことを思うと、とても心が痛む。
この悲劇は誰の身にも起こりえることだった。東京でも起こりえることだし、沖縄でも起こりえることだ。本当に、たまたま東北沖で地震が起こり、大勢の人が亡くなり、大勢の人が傷つき、大勢の人が様々なものを失った。帰ってこない人も大勢いる。
普通の人生を歩んできて、普通に生きてきた人たちが、とんでもなく異常な日々を送らなくてはならなくなった。それが自分でなかったことは、単に偶然でしかない。
ここに来て深く思うのは、あたりまえの生活のなんとはかなくもろいものかということだ。
形のあるもののはかなさもまた。
大津波と大火災で破壊された大槌の町を見ると、心が痛い。何度見ても、そのすさまじさは衝撃だ。駅舎が消え、水に浸かった線路。土台だけを残して消えてしまった家屋。ガレキと呼ばれる、無数の記憶の塊。黒く焼け焦げた校舎。
だが正直なところ、「日常の当たり前の風景」として見慣れてしまうこともある。見慣れているということに気づくたび、そのこと自体が別の衝撃となる。
ここを去ったあとに自分に残るのはいったいなんだろう。自分はいったいここで何を見て感じてきたのだろう。
生きるということの不条理と残酷さか。
残酷な人生に立ち向かう、人間の力か。
人の営みをいとも簡単に流し去る自然の驚異か。
そのどれでもあり、どれでもないような気がする。
おそらくひとつ言えることは、生き残った人たちは一人一人が物語を持っていて、その物語に触れるたび、ぼくは言葉を失ったということだ。
言葉を失ったときに訪れる、あの静けさ。生きるということの、その悲しさ。人と人が遭うということの、この重さ。
もし人生に意味があるとすれば、きっとその静けさの中にあるんだろう。
ずいぶん感傷的になっている。
「去る者」はこうして事実を感傷的にとらえ、「居る者」は事実を生き延びなくてはならない。ぼくが最後の日を感傷的に過ごしているこのときも、ここにいる人たちは今日一日を明日を明後日を生き延びていく。
オレはそのことを忘れてはならぬ。
本当にお疲れさまでした。私も先生と出会えて一緒に働けて感謝してます。オーストラリアでも頑張って下さい。
返信削除ハートライフ病院 看護師 眞榮城克匡
このブログも、MLも、城山診療所便りvol3も悲しいですね。所詮去った者ですが、去った者は大槌の今後をずっと気にかけ、瓦礫の景色を決して忘れる事なく、被災者の方々が安らぎを得るまで、支援継続に尽力すると思います。そして、奮闘なさっていた山内先生の姿も忘れません。本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
返信削除お疲れ様でした。
返信削除ワンゲルのみんなが、肇のほうが参ってしまうのではと心配していました。
本当にお疲れさまでした。
返信削除お互い大槌とは切れないだろうね。
これからもよろしく
また思いがけないとこで会いましょう
約1ヵ月間の支援活動ご苦労様でした。
返信削除大災害を目の当たりにしたこと、情熱をもった医師、看護師らと出会えたこと、大槌町関係者・被災者のお手伝いが出来たこと全てが私の財産です。
本当にありがとうございました。心から感謝しております。
第7陣 事務:徳村潤哉
お疲れ様でした。
返信削除肇さんの気持ち、行動に私たちは感動と感謝の気持ちで一杯です。
奥様、子供さん達も不安だったことでしょう。しかし、お父さんを信じて、お父さんや日本のみんなの無事を祈って過ごしていたのでしょうね。地元での義援金活動など奥様の想いも日本のみんなに伝わるはずです。
みんなで頑張りましょう!
横井Familyより
1ヶ月超の長期支援、本当にありがとうございました。
返信削除先生や沖縄の先生方にご協力いただき維持できた大槌の医療体制を、なんとか元のとおりに復興させたいとおもっております。
オーストラリアでもがんばってください。
いつかまた大槌においでください。
大槌町 ふじまる内科医院 藤丸潔