14年目の3月11日。
毎年この日になると、やはりあの時のことを思い出す。こうして年に一回、こんなふうに文章を書く。これは自分のためだ。忘れちゃいけないぞという戒めと、忘れないぞという決心のためだ。
もちろん忘れてなどいない。何も忘れていない。日本で災害が起きるたび、オーストラリアで災害が起きるたび、そして世界各地での災害、それと戦争、そういった情報に触れるたび、ひとつの原始体験として僕は2011年3月11日の日に起きた震災と津波のことを考える。もちろん僕はその時そこにいなかったし、遠く離れたオーストラリアの地でニュース(それにしても何て生々しいニュースだったろうか)に触れただけだけど、後にボランティアで入った大槌町の方々から聞いたその当時の話で、僕は一種の追体験をした。城山の高台の下に広がる光景を見るたび、この世界には「安定」というものは存在しないんだと思った。
その気持ちはこの14年の間に、確固たるものになってきている。
朝、犬と散歩している時に、近所の風景に地震と津波に蹂躙された街の風景が重なる。それから、洪水に見舞われたり森林火災で焼失したオーストラリアの街々、あるいは、突然侵略されたウクライナの街、今も続く世界各地の戦争、さまざまな光景を思い浮かべる。あまたの自然災害と、終わることのない人災。
今住んでいる家も、僕の住むこの地域も、いま、大きな問題もなくとても「安定」している。仕事も不都合なく続けているし、家族もそれぞれ安全な状態にある。自然災害にも人災にも、今のところ無縁に思える。でもこれは当たり前ではないのだと僕は感じる。いや正確に言えば、この当たり前はものすごく幸運なのだと思っている。なぜなら物事はほんの一瞬で変わると知っているから。
秋の風が窓の外の木々を揺らしている。コーヒーを傍らに置いて、快適な椅子に座ってこれを書いている。そして次にこれが全部、例えば Bush Fire (オーストラリアでは山火事のことをこう呼ぶ)に襲われてしまうことを想像する。いまここにあるのも、いま持っているものが全部焼け落ちてしまうことを想像する。こうやって頭の中でシミュレーションをする。散歩しながらもそんなことを想像する。
この快適さを削ぎ落として削ぎ落として、そのあと何が残るか。
やっぱりそれは命だけだ。僕の命? うん、もし僕の命が残ったとしたら、それは家族の命と誰かの命を守るために使えるといい。もし家族の命が救えるのなら、僕の命は差し出してもいい。けっこう本気でそんなことを思う。
これはたぶん、自分がそれなりに歳を取っておぼろげながらも死を考えるようになったこともあると思う。でも、3.11のあとに大槌町で出会った方々から聞いた話が強く影響しているのは確かだ。肉親友人を失って茫然としていた人たち、救えなかったことをひどく後悔していた人たち、生き残ったことで自分を責めていた人たち。生き残ったことで続けられた自分の命をどうしたらいいのかと苦しんでいた人たち。
ああ、自分の命をなんらかのトレードで使えれば!
世界は不条理だ。残念ながら命の後戻りはない。それを知ったのがあのときの大槌町での日々だった。
削ぎ落として削ぎ落として、最後に残るのは命。でもそれは、ほんとに残念ながら、自分で決められることではないのだ。
それはなにも災害のときだけではない。日常の、この「安定」した快適な日々でも、そうなのだ。変わらないものなどない、ずっと続くものなどない。じゃあいま自分はどうするか、生きるとはそれの選択でしかない。