2011年3月26日土曜日

帰国支援計画ー5

初めに書いたように、ボランティアなら6週間。それ以上ならなんらかの収入を得つつ3ヶ月までーーー、これが妻との同意事項かつ条件となった。自分としてもリーゾナブルだと思う。もちろん妻と子供たちはオーストラリアに残る。

そのことを高嶺先生にメールした。週末なので週明けまでちょっと待ってくれとの返信。
業務の再開する月曜日が待ち遠しい。これできっと行けるだろう。

月曜日。期待していたのだけど、高嶺先生からのメールによると「数ヶ月の採用だとしても、職員として体制を組むのが難しい」ということとなった。そうか、ああそうだろうなあ。当事者の気持ちを考えれば、理解できる。

ところで・・・、と高嶺先生のメールが続く。
沖縄県医師会が医療チームを現地に派遣しているから、そこに参加するという方法を取れないだろうか、と彼の提案。ぼくはどんな形でもかまわない。よろしくお願いします、だ。

さっそく高嶺先生が直接沖縄県医師会に連絡を取った。と同時に、ぼくらの共通の友人である喜納先生にも連絡を入れてくれた。開業医である彼の医院に、ぼくの籍を置くことで「沖縄県からの派遣」という形が取れやすくなるんじゃないかという理由。琉球大学出身で沖縄で働いた経験があるとは言え、ぼくは現在オーストラリアにいるのであり、県医師会とのかかわりはまったくないのであるから。十手先まで読んでいる高嶺先生に感謝。

翌日には、喜納先生からもメールが届く。できる限り協力すると。彼もとても心を痛めていて、ぜひ現地で支援活動に参加したいのだけど、開業医であり在宅患者を抱えている身なので、どうにも動きが取れないのだと。そういうわけだから、どんな形でも協力は惜しまないのだと言ってくれた。卒業以来20年は会っていない同級生の言葉に、嬉しくて涙が出そうになった。

沖縄県医師会の上原さんからメールが届く。高嶺先生から連絡がありました、これから検討します、という内容。ぼくはもう、熱意のありったけを書いて返信メールを送った。

と同時に、航空会社にメールを送る。単刀直入に、オーストラリア・成田間の往復チケットを一人分くれと。あなたの力で、一人医者を送ってください的に、もちろんすごく丁寧に。たのむぞカンタス!

4 件のコメント:

  1. 喜納先生って儀保の喜名クリニックの?
    あいかわらず読ませますねえ

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  2. 3月21日に岩手県大槌町の中央公民館で沖縄県医師会の支援チームと会いました。伊江村立診療所の阿部所長と挨拶だけして、深浦町チームは大槌町の金沢支所管内へ移動して医療支援を行いました。

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  3. 沖大で報告会 いっしょにできればいいな

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  4. 沖大で報告会、できるといいですね。
    でも、オレ沖縄に行かないんじゃないかなあ?
    できれば岩手の現地で会いたかった。

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