2011年4月14日木曜日

避難者に必要なもの

一言に避難所といっても、いろんな避難所がある。
ほんの少ししか見ていないのだけど、診察を受けに来る方たちに聞くと、たとえば職場の事務所に仮住まいをおいている人もいるし、お寺や老健施設、学校の教室や体育館も避難所となっている。廃校を利用して避難所としているところもある。もちろん、そういった避難所ではなくても、親類知人の家に身を寄せている人たちもいる。

ぼくがいまいるところは、大槌町の中央公民館。町営の体育館も付属していて、城山体育館とも呼ばれている。町の中心部(かつて繁華街だった場所だ)から見ると、丘の上にそびえる白い大きな建物だ。

東北の太平洋沿岸が地震と津波に襲われた3月11日の午後、この体育館に約600人の方が避難してきた。全員ずぶ濡れで、その濡れた格好のまま一夜を過ごしたという。しかも、津波によりプロパンガスのタンクからガスが漏れ、あっという間に火が噴き、それがガソリンスタンドや車から漏れたガソリンに引火した。その日はとても風が強かった。濁流に漂う家や木材が燃え、町のあちこちで同時に火事が起こった。

火の粉は城山体育館の丘にも飛び火した。体育館の回りでは山火事が起こり、人々はまったくなすすべもなく火の行方を見守るしかなかったのだという。

火事は翌日も続いた。

幸い、降ってきた雪のおかげもあって火は鎮まったらしいが、津波に破壊された町のあちこちに、まるで爆撃を受けたかのような黒い焦げ跡が残った。

地震と津波と火事。

大槌の避難所にいる方々は、誰もみな、一人の例外もなく、老いも若きもみんな、それを生き延びてきた人だ。

そういった人たちが、いまだに「避難所」で暮らさなければならない理由をぼくは知らない。この方たちには、修羅場を生き延びてきたということで、最大限の安息と慰安を与えらるべきだ。あの巨大な打撃のあとに、どうして今のような物理的精神的ストレスが加えられなければならないのか。

震災後、はや一ヶ月がたつ。

ぼくらはここで医療スタッフとして働いているが、ここに本当に必要なのは医療ではないような気がしている。

(画像を追加したのだけど、なんだかうまくいきません。後日アップロードします)

1 件のコメント:

  1. おつかれさまです
    山内君が今そこにいる意味
    本当に大きいと思う

    一人でも多くの命を救うために
    わたしも沖縄でがんばりたいです

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