昨日は、午後から休みをもらい、花巻で一泊してきた。温泉に入り畳の上でゆっくりと寝た。そしてまた昼には大槌に戻り、救護所に入る。
釜石から大槌に至る雨に煙る帰りの道すがら、津波に呑まれた集落をいくつも見る。何度見ても、なんというか、自分の半世紀の人生の中での経験にまったく収まらない風景に、ぼくの頭脳と心は戸惑ってしまう。
温泉宿で過ごしたたった一泊が、とてつもなく贅沢に思える。大槌のあの避難所の方たちの生活を見ているだけに、自分の体調を整えるためにとった休憩すら、後ろめたく感じてしまう。いやそうではないと分かっているのだけど、そう感じてしまう。
大槌の避難所にしばらくいると、ここが世界の中心のように感じる。がれきに化した町。体育館に並ぶ無数の布団。冷たい床。あちこちで聞こえる咳。その他の世界(たとえば花巻の温泉)の安寧さの方が、ほんとうは「あたりまえ」のはずなのに、そこに住む人たちの心やすい生活に対して、心のどこかで不公平を覚えてしまう。そこに身を置いて安らかな夜を過ごした自分自身に対して、オレは不公平なことをしたんじゃないかと思ってしまう。
それは違う違う。
心やすい生活がほんとうだ。避難所にいる人たちも、心やすい生活に一日も早く戻らなくてはならない。それを助けるためにおおぜいの人々はここに来たのであり、それを実現するためにここに住み続けてきた人たちは今日も黙々と働いているのだ。
不公平なのは、ここにいる人たちの境遇のほうだ。ある日突然波に呑まれ、避難所生活を送らざるを得なくなった。それこそが不公平な出来事だ。
おそらく、これから先の自分の人生の中で、ここで見聞きしたことは自分自身の中心になるだろうと思う。生きるということは、先の分からない出来事の積み重ねであり、道理の通らない不公平なことがいつでも起こりえることであり、その不公平さをあるときはどうあっても引き受けざるを得ないのだということを。
先生、私の分までがんばって下さい。
返信削除でも疲れた時はお休みしても良いんです。
人生は長いですから、無理したら長く持ちませんよね。
陰ながら応援してます。
看護師のまえしろです。避難所ではお世話になりました。短い間でしたけど、山内先生と一緒に働けたことは誇りです。
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