2011年4月29日金曜日

四十九日




昨日、午前中診察に見えていた三浦おばあさんが、「今日は娘の四十九日だから、午後からお寺さんに行ってきます」と言っていた。いつものにこやかな笑顔ではあったが、それだけにいっそう辛く感じた。
4月28日、 震災と津波のあの日から49日目に当たる。
ということは、三浦おばあさんの娘さんだけでなく、大槌町だけでも700人近くの方が四十九日を迎えたというわけだ。行方不明者を含めると2000人近くになる。
ぼくらはあの大災害からひと月目とか100日目とか言うけれど、亡くなられた人を中心に考えると、初七日とか四十九日といった数字の方がさらに意味を持つ。地震と津波は確かにとんでもない出来事だっただけど、極端に言えば、地震や津波がどうこうというよりも、亡くなられた人たち、生き延びた人たちが出来事の主役であり、すべての文脈はそこを中心にして語られるべきなんだと思う。
前にも書いたと思うけど、あの3月11日を生き延びた人たちは、その直後から暖かく守られた快適な環境で生活を送るべきだった。冷たくて怖くて悲しくて辛い日を過ごした人たちが、そのあとに避難所の生活をひと月も二月も送るべきではない。決してそうさせるべきではない。国は、国民は、最大限の努力をしてその人たちをなんとしてもすくい上げて守らなくてはいけないと思う。
4月28日、城山体育館のまわりの桜は満開だ。折からの山風が、桜の花びらを眼下の町に降らせていた。

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