昨日、午後から一泊の休みを取った。
タイマグラの古い友人の家に泊めてもらい、風呂と食事をふるまってもらった。
十日ぶりの風呂。体も暖まり、心も暖まった。
そしてまた現場復帰。
醒めたというわけではないが、あれ、ちょっと違うぞと思う部分がある。
二週間ずっとここに詰めていて、ああした方がいいんじゃないか、こうするべきじゃないかとか、悩んだり動いたり反省したり頑張ったり。前へ前へ、そんな感じだった。
だけど、どうやらぼくの頭は少しカッカしていたのかもしれない。ずいぶんいろんなことに関わり、あっちに顔を出し、こっちに手を出し、だいぶ働いてきたと思っていた。
しかし、たった一泊だけど離れてみて再び戻ってみると、やってきたことのいくつかは自分の勇み足だったんじゃないかと感じたりする。眼下に広がるあまりの惨状と、過酷な避難所の現実を見続けて、それを何とかしなくてはといった焦りがあったんじゃないか。生活環境、医療環境、これらを向上させるためには、これこれが必要に違いないなどと・・・、うーん、それもやはり勇み足か。
ちょっと立ち止まろう。
主役は誰か。
「いる人」が主役であり、「去る人」は脇役だ。
ここは一発、仕切り直しといくべきか。
難しい。
友人が言っていた言葉を思い出す。
「熱い心と冷たいアタマ」ー A warm heart and a cool head.
何かを成し遂げるときに必要なものなのだと言っていた。反芻してみる。
自戒を込めて
返信削除自分がよいに違いないとおもってることが
必ずよいとは限らないんだよなあ
離れてるからよけいに何もできない自分が悔しくなりますが
熱い心と冷たいアタマ
肝に銘じたい
「熱い心と冷たいアタマ」
返信削除A warm heart and a cool head.
この言葉、深浦町ヘルスプロモーションアドバイザーとして、肝に銘じておきます。
首から上がカッカカッカしている人を見たら、それはたいていどこか方向が間違っています。自分のことを思い出しても、それはたいていあたっています。
返信削除分かっていても、そうなっちゃうんだよなあ。
我もまた自戒を込めて。