大槌町城山体育館避難所 約180人がここにいて、2階の武道場に100人、 3階の大会議室に40人ほどが避難生活を送っている。 |
4月3日にここ大槌町に入り、はや4週目になる。ここに来る前は、被災地の救護所がいったいどういう状況なのかほんとに分からなかった。野戦病院のような状況なのだろうかと思ってさえいた。
ぼくは自分の面倒は自分で見るというスタンスで準備をしてきたので、義弟から借りたマツダMPVの中で一ヶ月半生活ができるようしていた。どんなことが待っているのか分からなかったからだ。きっと寝るところもないに違いないと。
ところが、野戦病院のような時期はとうに終わっていて、不十分な施設の中でのやや騒然とした外来診療といった感じだった。最初の一、二週間で、本当の救急医療の時期は終わっていたのだという。薬がまったく足りないとか、重症患者を運ぶ手立てがないとか、それ以前に医療従事者があまりにも少ないとか、そういう時期はすでに過ぎていた。
救護室と書かれたドア。中会議室といった感じの部屋を、折りたたんだ卓球台と段ボールとで仕切りを作り、救護室、保健師のスペース、薬剤師のスペースに分けてある。奥に小さな休憩所がもうけられ、そこでお湯を沸かしたり、カップラーメンやレトルトカレーを食す。夜は部屋のテーブルとイスを片付け、床の上にマットを敷いて寝袋に入る。多いときで10人、少ないときでその半分。医師と看護師と事務員の共同生活。朝9時から夕方5時までの診療時間とうたってはいるけれど、基本的には24時間体制。夜の8時には医師全員で一階の体育館や二階の武道所を訪れ、避難している人たちを見て回る。一人一人に声をかけ、顔色を見て歩く。
そういう風な毎日。それは基本的にいまでも変わらない。
しかし徐々にだけど変わってきていることもある。
まず、患者さんの疾病構造が変わってきた。
当初は、夜の8時のラウンドで発見する異常も少なくなかった。東北の人は我慢強いというけど、ほんとにその通りで、食欲もなく水分もとれていない老人が、ただ迷惑をかけたくないということですぐそばの救護室にも行かずに布団の中にいる。変だなと声をかけると、熱がありかなりの脱水。何らかの感染症から来る敗血症も疑われる。即、近隣の宮古病院に救急搬送ということも珍しくなかった。野戦病院のレベルは過ぎたとはいえ、緊急度の高い患者さんは幾人かいたものだ。
いまはそういった患者さんはいない。8時のラウンドが功を奏したのも確かだと思うが、周囲の方たちがきちんと目をかけているのが大きいと思う。自分と家族のことでいっぱいいっぱいだった時期を超え、周りの人のことを気にかけることができるようになった、ということなのだと思う。
そういった時期のあと、しつこい咳と、喉の痛みを訴える人が増えた。津波のあとの瓦礫から巻き起こる細かいダストが刺激となって、人々の喉と気管を痛めていたのだ。ちょうど杉花粉が大量に飛び散る頃だったので、花粉症とも重なり、診療所を訪れる患者さんのほとんどが、しつこい咳になやまされていた。ラウンドに行くと、広い体育館のあちこちで咳き込む音が聞こえたものだ。咳のせいで夜眠れないという人もたくさんいた。しかしそれも、住民みんなで行った大清掃と、館内土足禁止措置、空気清浄機の大量導入、加湿器、マスク着用の励行、うがい、そういったもので徐々に減っていった。いまもまだしつこく続いている人もいるけれど、当初に比べるとだいぶましだ。
少しずつ物事は改善しているように見える。
だけど、残念ながらそう単純ではない。現在避難所が抱えている問題は、脱水状態とかしつこい咳といったような「目に見える」ものに比べて、遙かに深刻だと思う。
マスコミでもあちこちで取り上げられているが、食事の問題はとても大きい。ここ城山避難所は、基本的に一日二食だ。正確に言えば、ボランティアグループが炊き出しをしない限り、一日二食だ。たとえば、ある日の朝のメニューは、おにぎり、菓子パン、フルーツゼリーとチョコレート。昼の分になるように多めにおにぎりやパンが渡されはするが、これはすべて炭水化物だ。さらにいえば、ただの糖分だ。夕に配られるのも、たとえばおにぎりと缶詰といった感じ。温かい味噌汁が付けば、それはごちそうのたぐい。サラダなどほとんどない。最近はお弁当方式で品数も増えてきたが、いわゆる家庭でふだん食べているような食事内容にはほど遠い。
炭水化物以外の必須栄養素が、まったく足りていない。筋肉量を維持し、代謝の根幹にかかわるタンパク質が、まず絶対的に足りない。新鮮な野菜も(調理済みも少ないのだが)ほとんどないので、ビタミン・ミネラルが間違いなく不足している。脂肪酸も、EPAといった不飽和脂肪酸がほとんどなく、缶詰や保存食に含まれるのは悪質な飽和脂肪酸ばかり。
栄養不足は、基礎体力を低下させ免疫力を低下させる。こんな栄養状態で、万が一インフルエンザでも発生しようものなら、抵抗力の低下から重症化する人は通常よりも多くなるに違いない。
運動不足も大きな問題だ。他の避難所はそうでないかもしれないが、ここ城山体育館避難所は、散歩をする場所が限られている。高台にある体育館の脇にはちゃんとした道路があって、そこは桜の並ぶなかなかいい散歩道なのだが、避難者の方々は、そこから見える町の惨状に耐えられないのだという。そう言う人に外の散歩を勧めることができるのか。こういったこともそうなのだが、他所からやって来たぼくらには思いも寄らない話が、ここにはいくつもある。館内の散歩をすすめても、スペースに限りがあり、うまくいかない。そもそも避難所の中で布団にうずくまって気力の衰えている老人を、どうやって積極的に動かすかという方法がぼくらにはわからない。マンパワーの不足とも言える。
もう一つは、こころの健康。不眠を訴える人が増えている。体育館の床の上で、たとえばわずか3.4畳ほどのスペースに一家族が生活する、というような状態。仕切りもなく、わずかな着替えもなにもかもが段ボール箱に納められ、食事もそこですまされる。200人近い人たちがそんな風に生活し、夜も「同じ屋根」の下で寝る。ひと月以上が経ち、慣れてきたと人々はいうけれど、意識下でたいへんなストレスを受け続けているのは想像に難くない。そのストレスが不眠や不安、あるいは身体症状を呈する神経症をもたらすのは、むしろ「正常な反応」とも言える。
沖縄県医師会が詰めている城山診療所にも、沖縄県から精神科医が一週間来られていて、積極的に不眠・不安を訴える患者さんを診てもらっていたが、むろん一週間だけの問題ではないわけで、この地域にも様々な都道府県からやって来た「こころのケア」チームが活躍している。「世界の医師団」というボランティアグループもメンタルケアも含めて活躍している。
被災地の医療は、身体問題よりもむしろ心の問題にシフトしてきていると言えると思う。身体問題も、急性疾患よりもより慢性的な問題に重きが置かれる時期だ。
栄養不足、運動不足、こころの問題、それらがもたらすものは、徐々に進行する免疫力の低下と精神疾患の増加だ。表向き落ち着いてきたように見える避難所の風景だが、その深層ではとても深刻なことが進行している。
そのことは、ぼくら城山診療所のメンバーや沖縄県医師会の事務局だけでなく、被災地域のあらゆる医療スタッフの共通認識となっている。問題は、その解決法が医療スタッフの努力だけでは成り立たないと言うことだ。それは広く行政の問題であり、避難所の自治の問題でもある。ぼくらの活動と提言がどれだけ実を結ぶのか分からないが、諦めることなくしつこくやっていくしかないと思っている。
先はまだまだ長い。
表面だけを見ていては大事なことを見逃してしまう。
4月30日大槌に行くと思う。
返信削除よしなに。
今日災害対策本部にメールしたけど
忙しいし見てくれてないかも。
変な内容のメールだったし。。。
はじめまして、
返信削除yamadaikanさんのtwitterよりおじゃましました。
城山体育館のことが気になっていました。
食生活等の大変さが分かり良かったです。
またおじゃましますので宜しくお願いします。