2011年4月29日金曜日

一時移住を考える

避難者への一時移住の働きかけが、たくさんの自治体からなされている。沖縄県もその一つだ。大槌町でいえば、車で2,3時間で行ける花巻も一時移住についてかなり積極的に広報されている。先日一泊してきた大沢温泉にも、90名の避難者が大槌から来て生活をしているということだった。それを聞いて、ぼくはとても嬉しかった。被災地から一時的に離れ、壁に仕切られた部屋の中でプライベートを守りながら、家族で生活する。そういう「当たり前」の生活が、たとえ90人とはいえきちんとなされていることを知って、こころからほっとした。


一時移住の必要性と重要性は、いろんなところでいろんな人たちが話している。


基本的にぼくは一時移住に賛成だ。避難所の生活を続けることは、肉体的精神的にかなりのストレスであり、健康を直におびやかしている。できることなら、ここにいる避難者を全員一時移住の地に連れて行きたい。そこでゆっくりと休息を取り、再生に向けて新たに力を溜めてもらいたいと思う。ほんとにそう思う。


だけど、ひと月この避難所にいて、それがとても難しいことを実感している。


親が子供が、行方不明のままだという人がいる。見つからないままここを去ることはできない。たとえひと月だろうと、ここを離れて心が安まるとは思えない。それどころか、きっと余計に苦しむだろうと。


家族そろって一時避難をしたいのだけど、父親あるいは母親が仕事を持っている。運良く仕事場が被災を免れたのだ。その父や母を置いて、残りが一時移住をすることはできない。


同じように、家族内で意見が割れたとき、半分が移住し、半分が残るなんていうことはできない。それでは家族が分裂してしまうという。


ある老女がたとえ一人だろうと一時移住をしたいと思った。家族にそれを持ちかけた。残念ながら、その方は家族の反対にあい、移住を諦めた。反対の理由はわからない。


とにかく、土地から離れることはできないという人もいる。


たとえ短期移住だろうと、ここを離れるとさまざまな情報が届かないかという心配がある。仮設住宅の抽選に影響が出るんじゃないかと思う人もいる。


短期移住から帰ってきたとき、「村八分」のような扱いを受けるんじゃないかと危惧する人もいる。


さまざまな理由がある。思いも寄らないことが理由になっていることもある。


そういったことが分かってからは、短期移住こそがいまなされることだとは言えなくなった。移住は、さまざまなオプションの中の一つの選択肢であり、それを選ぶことができる環境の方だけが参加すればいいのだと思うようになった。絶対これがいいのだと外部の人が主張して、誘拐まがいのことはしてはいけない。


そうなると、ぼくら医療従事者が考えなければならないことは何か?


避難所の環境整備だ。医療の点から見た、健康と安全の確保だ。けっして快適とは言えない避難所の生活を、いかに少しでも安全にしてくのか。避難者の健康を、いかに向上させるのか。それらが、避難所内の診療所をあずかる医療従事者の仕事じゃないかと思っている。


付け加えていうならば、いまでもぼくは、移住の必要性と重要性を患者さんや避難者の方々に折りに付けて説いてはいる。でも決断は、こちら側ではなく向こう側にある。

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