2011年4月20日水曜日

基本的事実

避難所での診療所でしばらく働いていると、だんだんとここに住んでいる人たちと顔見知りになる。ぼくら医療班は診療所に寝泊まりしていて、基本的に住民と同じような生活をしている。トイレも洗面所も共同、もちろん風呂はないし、食事も限られている。そんなふうだから、余計に住民と親しくなり、時には軽口をたたき合ったりもする。まるでコミュニティーの同胞のような感覚になることもある。要するに「仲間」のような感覚だ。

でも、忘れてはいけない基本的事実がある。

避難所にいる人は、全員が、ただ一人の例外なく、避難してきた人だ。
あの地震、あの津波、あの火災、それから逃れてきた人たちだ。
家を失い、帰るところのない人たちだ。
大切な人を失った人たちだ。

あの津波が、どれだけ恐ろしかったか、どれだけ怖かったか、どれだけひどかったか、いろんな人から聞かされた。押し寄せるがれき、襲いかかってくる波、黒い波の上で燃え上がる炎、びしょ濡れで過ごしたその夜の凍える寒さ、家族を見失った狂わんばかりの悲しさ、そして混乱。我が町が消えてしまうのを目の当たりにした人々。

老人も、大人たちも、高校生も中学生も小学生も、年端のゆかない子供たちも、赤ん坊も、この避難所にいる人たちは、全員、それを生き延びてきた。そんな夜を過ごしてきた。

それは忘れてはいけない、基本的事実だと思う。

支援しに来た人たちは、もちろんぼくも含めて、彼らの中の一人ではない。あの体験を生き延びた一人ではない。ぼくらは、「ここを去る人」なのだ。

それもまた基本的事実だ。

問題が複雑に感じられるとき、その基本的事実に立ち返ると、解決への道筋が見えてくるんじゃないか思う。失敗して振り返り、ああそうだったと反省することもまだ多いけれど。

1 件のコメント:

  1. そうなんだよね
    忘れちゃうんだよな
    昨日も田老のKさんとお話してて
    それで失敗してしまいました。
    しゃべってるときに気がつけばよかったんだけど。

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