2011年4月23日土曜日

3時5分





先日がれきと化した大槌の町を歩いてきた。

がれきと一口に言うが、近くによって目を寄せると、がれきの破片ひとつひとつに名前がある。

いまあなたがいる場所の回りを見て欲しい。
もしあなたがいま暖かい部屋でパソコンに向かっているのなら、そこにはテーブルがあるだろうし、その引き出しの中にはペンがあり、ハサミがあり、物差しがあるだろう。テーブルの上には、ちいさなマスコットやちょっとした小銭や友達から来た手紙や買い物リストや、あるいは家族の写真が飾られているかもしれない。

そのすべてが、このがれきの中にある。パソコンそのものも(破片となって)ある。

台所にあるもの、居間にあるもの、玄関にあるもの、タンスの中身、なにもかも。車があり、自転車があり、オートバイがあり、バスがあり、トラックがあり、そして家そのものも破片となってあらゆるものと混在している。

その、かつて名前のあった破片の中を歩いていた。

時計を見つけた。居間によく見る置き時計だ。

指し示す時刻は3時5分。

地震があったのが2時46分頃といわれているので、津波はその20分後に大槌を襲ったのだろう。

Every tiny single piece of the wreckage has its memory.
がれきの中のどんなに小さな破片にも記憶がある。

大量の記憶に埋め尽くされて、大槌の町は今日は雨に濡れている。

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